ケイ・シュガーさんと語る「レクイエム」もいよいよ最終回。国賠同盟の有川功さんをお迎えしています。
今回は鶴彬(つる あきら)を取りあげます。鶴彬の本名は喜多一二(きた かつじ)。
鶴彬は世間であまり知られていませんが、文学会の多喜二、川柳会の彬というように並び称されています。
二人は縁があるというのか、鶴彬は多喜二の5年後に生まれていて、殺されたのも多喜二の5年後。
ですから享年は共に29歳です。
彬は赤痢に罹り、衰弱して手錠をはめられたまま豊多摩病院で亡くなります。酷い話です。
一説には、赤痢菌をうつされたということも言われています。あり得ないことではないと思います。
いずれにしても、治安維持法の苛酷な拷問の犠牲者というのはハッキリとしています。
☆ ユーチューブもお聞き下さいませ 
https://www.youtube.com/watch?v=j5wdTaAducw
ケイ・シュガーさんの好きな句は、
* ロボットを殖やし全部を馘首する
という句です。
これは昭和3年に作られていますが、いま現代の状況を詠んだと言ってもおかしくない句です。時代を越えて通用する句を詠んだのです。
ももっちおばちゃんの溝江玲子が鶴彬を知ったには、田辺聖子さんが書いた川柳の本を読んだから。
聖子さんは、なんと、本の中に鶴彬の項目を一つ立てて書いています。それを読んで「なんと凄い川柳を書く人だ!」と思って鶴彬に注目。
それ以来、鶴彬のことが気になっていました。
鶴彬は、大阪城にある衛戍監獄に入れられ、水風呂に浸けられる拷問も受けたりしました。
私の好きな句は色々あって、ひとつというのは難しいですが、しいて選ぶと、
* 胎内の動き「を」知るころ骨(こつ)がつき
ですね。
これは、「お腹の赤ちゃんが5ヶ月位になってお腹を蹴るようになった時に、出征をした夫の骨が帰ってきた」というのです。なんとも切ない句です。
鶴彬は、最初はリリシズムな抒情的な句を詠んでいました。
有川功さんの感激した句は、
* 暴風と海との恋を見ましたか
という句です。
雄大でロマンチックな句です。
また、
* 神様よ今日の御飯が足りませぬ
もいいですね。
* 燐寸(マッチ)の棒の燃焼にも似たる生命(いのち)
自分は燐寸の棒のようなものだから燃えていくのだ、という激しいもの。
この句は15歳の時に詠んだのです。わずか15歳で凄い句を詠んだものだと思います。
有川さんは、鶴彬のことを30年程前に知りましたが、何と読むのかと思ったそうです。
ももっちは、句会会場のドアの前に貼っている「鶴彬」の文字を見て、高校生位の女の子達が
「あれ、なんと読むんやろ」「つるりんと、ちゃう?!」というのを聞きまして、
「鶴彬は、ホンマにあんまり知られていないんだな」と残念に思いました。
名前の由来ですが、字引によると、鶴の林と書いて「カクリン」。
釈尊の入滅を悲しみ、沙羅双樹が鶴の羽のように白く変わって枯れてしまったという伝説があるそうです。
有川さんは、彬と書いて「ひん」と読む。
これは「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」といって、文章とその質が調和がとれて兼ね備わるさまをいいます。鶴彬は、内容と外観が調和したさまを願って名付けたのではないかと思っているそうです。
鶴彬は、1930年(昭和5年) 徴兵検査で甲種合格、第9師団歩兵第7連隊(金沢)に入隊。
陸軍記念日に「質問」をして重営倉に入れられます。
1931年(昭和6年)には『無産青年』を持っていたという、七連隊赤化事件の主犯とされ、治安維持法違反で大阪衛戍監獄に収監されます。
衛戍監獄というのは、軍法会議のあったところに置かれた陸軍の監獄のことです。
刑期は1年8か月。そのとき酷い扱いを受けたので相当身体が弱ります。
* 万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た
* 手と足をもいだ丸太にしてかへし
* 暁をいだいて闇にいる蕾
これらの句を詠んだということで、彬は検挙されます。
柳誌『三味線草』の主催者に告発され検挙されたのだという説がありますが、文学というものをやっている仲間が告発したとは恐ろしいことです。
鶴彬は赤痢に罹り、衰弱して手錠をはめられたまま豊多摩病院で亡くなりますが、一説には、赤痢菌はうつされたものだといいます。
フランスはけっこう日本の文化が好きなのですが、川柳のシンポジュームが開かれた時に、大西やすおさんによって鶴彬のことが紹介されました。
治安維持法というのは天下の悪法です。今また、集団的自衛権という治安維持法そっくりの、それより酷いかも知れないという悪法が、昨年2014年7月1日に閣議決定されています。
治安維持法といえば、その名のもとで、文学とか川柳などまで弾圧される。そして思想信条の自由がなくなっていったのです。
多喜二も鶴彬も生涯を全う出来ませんでした。
鶴彬は命がけで川柳を詠み、29歳で殺されてしまったのです。
それにつけても、思うことは、今まさに命がけで書かないと行けない時代がきているのではないか、と思います。戦争立法を急いでいる昨今の政治の潮流を憂えます。
2008年9月14日大阪城公園内衛戍監獄跡地に植樹と銘石建立されていますので、行ってみて下さい。
アマゾン 「小出裕章 原発と憲法9条」
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%87%BA%E8%A3%95%E7%AB%A0-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%A8%E6%86%B2%E6%B3%959%E6%9D%A1-%E5%B0%8F%E5%87%BA-%E8%A3%95%E7%AB%A0/dp/4946550313/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1330959821&sr=8-1
遊絲社 「小出裕章 原発と憲法9条」出版にいたるまで
http://www.yuubook.com/center/interview/koidesan_20120101/koidesan_20120101.html
アマゾン 「ヒロシマの記憶 原発の刻印」肥田舜太郎
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%92%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%83%9E%E3%81%AE%E8%A8%98%E6%86%B6-%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%81%AE%E5%88%BB%E5%8D%B0-%E8%82%A5%E7%94%B0-%E8%88%9C%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4946550372/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1381067552&sr=8-2&keywords=%E9%81%8A%E7%B5%B2%E7%A4%BE
遊絲社 「ヒロシマの記憶 原発の刻印」出版にいたるまで
http://www.yuubook.com/center/hanbai/syoseki_syousai/syousai_hiroshimaki.html
お気に入りましたら
応援
のクリックお願いしますね
↓
人気blogランキング
最近のコメント