アニメ・コミック

丑の年賀アニメです、見てね (o^^o)y

2日目の明けましておめでとうございます♪♪

毎年恒例のアニメでございます、(o^∇^o)ノ

今年は私は年女なのですよ!---☆--☆-☆-☆-☆
も〜、も〜、、、と、地道に働く丑。。。(*^▽^*)
今年も真面目にコツコツとやってまいりたいと思います。

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*アニメ『崖の上のポニョ』感想文・続き*

*アニメ『崖の上のポニョ』感想文・続き*(2008.8.22)
                 溝江純
      ☆「娯楽でいいんだよ映画は」っていうのは嫌いです」
  〜宮崎駿〜

☆「本当にぼくが感動するのはだね、ぜんぶ読み終ったときに、それを書いた作者
が親友で、電話をかけたいときにはいつでもかけられるようだったらいいな、と、
そんな気持ちにさせるような本だ」
  〜サリンジャー『ライ麦畑でつかまえて』〜

☆「いや、違う。きみたちだ」
  〜ピカソ
  ナチスの検閲官に『ゲルニカ』を描いたのはお前かと聞かれて〜

『崖の上のポニョ』を観てきた。
宮崎御大の最新アニメだ。以下、感想文。
なんのくったくもなく子どもたちが楽しめる、最上質の絵本のような物語、という
ような評価は、やや平凡に過ぎるかもしれないけれど、映画全体の「質」を
ざっくりと捉えて、観賞後の感想を無難にまとめるなら、こういう言い方になる
かもしれない。
角度を変えて、アニメ版『たとえ世界を失っても』というような言い方だって、
少々乱暴ながら、ざっくりと本質をとらえて、これもいい。
今回の宮崎御大は、何よりもまず、

最も気持ちのいい画を見つけてそれを描き出すことや、アニメーションの動きの
面白さ、楽しさを観客に提供することに徹底的にこだわっていて、

これが半端ではない。
ある動機に突き動かされて、異常なほど、気持ちのいい画、気持ちのいいアニメー
ションの動きに、こだわっている。
それだけにこだわった、と言ってもいい。
だから、映画の中で繰りかえされる「子どもを助手席に乗せた母親の、度を越した
無謀運転」などを取りだして、「これは無謀な運転だ」と問題視しても、
どうしようもない(確かに無謀運転で、指摘することは間違いではないが)。
最初から確信犯なのだから。
運転が無謀だ。母親として、あるまじき行為だ。しかも、こんな危険な運転を
する理由もない。ただただ、監督の宮崎監督が、車が走ってゆく気持ち良さ、
運転する爽快さを、物語をねじふせてまで描こうとした結果にすぎない。
この映画は、日常を突き抜けてゆくような絵の気持ち良さや解放感を描くことに
徹底して、徹底することで、結果として大きく偏っている。
偏っていようが何だろうが、そんなわけだから、スクリーンに映しだされる絵を
追っていくのが、気持ちいい。観ていて楽しい。ワクワクする。無意味に車を
ドリフトさせて崖を登ってゆく若い母親が、非日常なまでに(非日常なんだけど)
、かっこういい。
老女たちや子どもたちの何気ない所作、転がるバケツ、波のゆらぎにいたるまで、
宮崎駿監督によって

整理され強化されつくした現実を土台としながら、スクリーン上を大胆に動き、
解放感を撒き散らしてゆく。

喝采したい気分でいっぱいになってゆく。
どれだけディフォルメされていても動きの正しさは決して失わない。精巧を極める
観察眼に支えられているからだ。
絵の面白さ、演出の大胆さ、動きの正しさに安心して身を任せ、酔いつつ、
このようないびつな映画がどこからやって来たのか、ふと私は思考する。
これを「いびつ」と言っていいのかどうかはわからないが、とにかく「いびつ」
としておこう。
『崖の上のポニョ』のいびつさは、映画制作にかかわっているひとたちの、
なんというか、無理を承知であえて言葉にすれば、それは「気まずさ」のような
ものではなかったか。
映画を鑑賞しながら、その気まずさをたぐっていくと、映画全体がやんわりと
身にまとっている気まずさの対象が、浮かび上がってくる。
それは、映画『ゲド戦記』と、それと向き合う宮崎駿監督の存在だ。
これはかなり知られたことではあるが、スタジオ・ジブリとその周囲の関係者は、
2年前に、

『宮崎駿』を工業製品化する試みとその無残な失敗

を経験した。
宮崎駿の工業製品化というプロジェクトとして、映画『ゲド戦記』は始めから
スタートした。そして公開した。結果は、興行成績は別にして、プロジェクトは
完全に失敗に終った。
2年前、宮崎監督がプロジェクトとその結果に対して受けたマイナス方向の衝撃
と、激怒に近い感情が、残った。
それを知るスタッフたちの、宮崎駿監督に対する、「気まずさ」だ。
激怒に近い感情、とは、私が想像してみせただけのことだが、とはいえ、
2年間をかけてこのようないびつな劇場作品が現に作られ、一版公開されて
いるのだから。これは、激怒、としか呼びようのないものだったのではないか。
自分の身のうちに沸き上がる激怒の感情は、正当なものだ、と、もしかしたら
宮崎駿監督は考えたかもしれない。
宮崎監督が自分の内に確信として抱いている、人間に対するある種のあきらめの
ようなもの、日本という国のかなり暗い見通し、そして(矛盾するようだが)
ふつふつと沸き上がる正義感や、宮崎御大が世に問わずにおれない危機感と
いうものを、バラバラに分解して、そのうわっつらだけを拝借し、あとはいつも
のジブリらしい絵を描いていれば、

「ほら、みんなが求めているジブリらしさって、こういうことでしょ?」

そのような態度の果ての、無残な失敗に直面した瞬間に、宮崎駿監督の内部で、
『崖の上のポニョ』は命を宿らせた。……てなことを私は想像する。
……確かに、宮崎の息子さんであろうと誰であろうと、映画監督は失敗をする
権利がある。ただ、失敗をする権利とはまったく違う次元で、私が『ゲド戦記』
という映画から受け止めたメッセージは「宮崎駿の工業製品化」だったし、
そのメッセージに首を縦に振ることができなかったし、ましてや、宮崎駿監督は
首を縦に振るどころではなかったろう。
スタジオ・ジブリ(と、それを取り巻く映画業界)は、いつのまにか『宮崎駿』
という存在を、もったいぶってカーテンの向こうに隠されたままの
スーパーマシンのようなものだと思い始めていて、その思いを糧のようにして、
スーパーマシンの運転席から宮崎監督に降りてもらい、そこに誰かを座らせさえ
すればジブリの映画作りは、じゅうぶん機能するはずだ、と踏ん切りをつける
ように判断したのではないか。
宮崎監督の年齢を考えれば、『宮崎駿』の工業製品化は、一刻の猶予も許されない
段階にさしかかっているというのも確かだったろう。
後継者の不在、という問題は、宮崎監督自身も頭を悩ませていたかもしれない。
しかし、それにしても、

消費者の購買欲を新商品に向かわせるときの広告業界の手法をそのまま持ち込み、

映画を作って、それにジブリの『ゲド戦記』というレッテルを貼る、という
“心根”のありかたに、誰も疑問を抱かなかったのか。
「モノの違いのわかる」消費者への、おまちかねのジブリブランドのご提供だ。
こればっかりは、徹底的に否定されなければならない。
「みんなが求めているジブリらしさ、宮崎駿テイスト」というものを、完全に
封印し、削除し、なおかつ、これこそがジブリ、これこそが宮崎駿だと観客を
喜ばせること。
ただそのことのために、『崖の上のポニョ』は走り出した。
……『崖の上のポニョ』は、以上のような宮崎駿監督の個人的で、かなり
せっぱつまった問題意識につらぬかれた映画だというのが、私の理解だ。
だから、別の言い方をすれば、アニメ映画『ゲド戦記』に対する、

当てつけにみちみちた映画でもある。

(^_^;)
宮崎監督自身が確信として抱いている見通しの暗さや、強い危機意識や、特徴的
なニヒリズムというものは、今回の映画の中では、まったく、完ぺきに、その痕跡
さえたどれないように、影も形もなく、いっさい触れられることがない。

「工業製品化するためにキーワードに分解された宮崎駿」を正面から完膚無きまで
に否定するためです。

私は個人的に、『ゲド戦記』における食事シーンのできの悪さに深い失望を
味わった人間だが、今回の『崖の上のポニョ』の、

食事シーンの念の入れようは、なんだっ!

(^_^;)
このようなはっきりとした当てつけは、『崖の上のポニョ』を際限なく
どこまでもいびつにしてゆく。
助手席に我が子を連れた母親が台風の接近によって封鎖された道路を強行突破
するシークエンスは、そうした危険を冒して我が家に帰る理由というものが、
いっさい、しめされていないが、これなどは、『ゲド戦記』に当てつけること
に夢中になってしまって、理由を後からこじつけることすら、おざなりになって
しまったのではないか。
そして、この強行突破の一連のシーンは、絵としては、

「すみません、まいりました、ぐうの音も出ません!」

とひれ伏してしまうほどに、素晴らしい。
この映画を鑑賞している私たちが気持ち良くなればなるほど、ある種のひとたちが
気まずくなっていく。
その口には出せない気まずさというものを、作品全体にいきわたらせて、
そういう意味で、ちょっと奇妙な映画だと思う。
その奇妙さをこっそりと楽しみつつ、映画館でにやにやと笑う私がいる。
ニヤニヤした笑いは、やがてニヤニヤどころではなくなり、やがて満面の笑顔に
なってゆく(自分の表情には自信が持てませんけどね)。

物語としてこの映画を語りなおせば、再会のシーンとその一夜で、ひとつの物語
は終っている。
それ以後は、別の物語だ。
『千と千尋の物語』でもそうだったけれど、いったん終ってしまった物語を、
劇場公開作品として求められる「ラストの盛り上がり」に向かって、無理矢理に
力技でオチをつけてしまう、といういつもの方法論を、今回の宮崎監督もやはり
選択している。
ふーふーと息をつきながら、真っ赤な顔をして、物語をコントロールしねじ曲げ
ている宮崎監督に出会うたびに、
「商業的に成功を義務づけられているということは、こんなに無理を
極めなくてはならないんだなあ」
と半分だけ気の毒に思う。
後の半分は、

ちゃんと脚本を練ってから作ればいいのに、と……。

(^_^;)
なんにせよ、商業的に成功を義務づけられている、ということは、どうしても
どこかで、うさんくささが残る、ということだ。
まあ、このうさんくささの話は続けたい気もするんだけど、長くなるので、
別の機会にしましょう。

溝江純の *アニメ『崖の上のポニョ』感想文の続編* です。
思ったことが書けるのがネットのいいところだと思います。
面白いので貰いました、
  なんともユニークな感想文です! ","( ^^)/▽☆▽\(^^ ) チーン","


児童文学作家 溝江玲子

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*アニメ『崖の上のポニョ』感想文の前に*

*アニメ『崖の上のポニョ』感想文の前に*(2008.8.20)
                                溝江純

☆「私たちの財産、それは私たちの頭の中にあります」
  〜モーツァルト〜

☆「人に対し親切な、気持ちのいい人達に会うと、抱きつきたいとさえ
思いますわ」
  〜アーサー=ヘイリー『大空港』〜

数日前の話だが、体を引きずるようにして『崖の上のポニョ』を観てきた。

で、 感想文を書こうと思っているんだけど、それは後日ということで、細部と
いうか、気付いたことをひとつだけ。

※ネタバレ注意です。

後半、宗介とポニョが、手と手をつないでトンネルをくぐるシーンがある。
このトンネルの入り口には、落書きや立て看板があって、色々書いてある。
「交互通行」
「一車線」
「ゆずりあい」
「一時停止」
トンネルの入り口の道路には、
「止まれ」

映画館で、思わず、ぷっと小さく吹いてしまった。
これ、宗介とポニョが将来踏み込んでゆくであろう夫婦関係への、
神様(つまり監督)からの助言なんだよね。(^_^;)

トンネルへと足を踏み込むとき、ポニョが、

「ここ、きらい」

という意味の言葉をつぶやく。
本当に、おかしい。

近くの席に座っている小さな女の子が、お父さんに
「ポニョ、暗い(トンネルだからね)の、恐いのかなあ」
とお父さんに小声で訊ねていた。
もちろん、暗い場所が恐いのです。
だけど、大人で、それなりに映画を見慣れている私には、宮崎監督のちょっと
した遊びも、ちゃんと意図通りに理解して、意図通りにくすっと笑う。
大人の私は、くすっと笑って、それで正解だ。
宗介とポニョが、将来、福満しげゆき先生のマンガ『うちの妻はどうでしょう』
の夫婦みたいになったら……、と、ふと思ったりもする。
人物は似ても似つかないけど、関係性という意味では、このトンネルのシーンと
どこかでリンクしているんじゃないかなあ。……と、これは映画とは別の、
私の頭の中の話。
映画は、ざくっと、全体を理解するのが、一番大事で、木を見て森を見ず、では、
いけない。
だけど、映画の作り手はかなり細かい部分にも色々気を使っていて、そうして練り
上げられた細部をことごとく素通りしてしまうのも、ちょっと淋しい。
シーンの細部に宿った作り手のメッセージを、注意深く観ることで、ひとつひとつ
拾い上げてゆくすると、一本の映画の中で、作り手がどれほど多くの芸をこなして
みせているかが、わかってくる。

例えば、映画『母べえ』で、大学の教授が自分の書棚から頼まれモノのドイツ
文学書を見つけ、本に積もったホコリをふっと吹くシーンがある。これは、

「自宅の本を読んでいない」→「勉強を一切しなくなった御用学者」

の姿を描いているのです。
牽強付会でも何でもありません、本当です。

溝江純の *アニメ『崖の上のポニョ』感想文の前に* です。
面白いので貰いました ","( ^^)/▽☆▽\(^^ ) チーン","

児童文学作家 溝江玲子

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『パンズ・ラビリンス』ぜひ観て下さい!

凄い映画を観てしまった。
ファンタジーの手法を巧みに取り入れながら、ファシストの嵐が吹き荒れた、あのスペインを描いている。
溝江玲子のHP「絵本工房」に載せている『パンズ・ラビリンス』についての映画評を貼っておきます。といっても私が書いたものではないのですが……。
                        溝江玲子

**~~**~~**~~**~~**~~**~~**~~**~~****~~**~~**~~**~~**
*『パンズ・ラビリンス』は革命についての映画だった*(2007.10.17)

「善人になる? そうさ、なりたくないやつなんかいるかね?
だけど残念ながらこの星じゃ資産は少ないし人間は残酷だ。
穏やかに和やかに暮らしたくないやつがいるかよ?」
   〜ブレヒト『三文オペラ』〜

「正確に観察する能力は、それを有していない人間から皮肉と呼ばれる」
     〜バーナード=ショー〜

*映画の内容についていろいろネタバレがありますので、そのつもりでお読み下さい。
ではどうぞ。

ファシズム吹き荒れるフランコ政権下のスペインを舞台にした映画『パンズ・ラビリンス』を観てきた。

いたいけな12歳の少女の精神が過酷な現実世界を拒絶するために作りだしたダークなファンタジーの世界
というような内容を期待してのことだ。
少女が少女自身の生命を守るために発揮される空想力、想像力、というようなお話を、私はけっこう好んでいる。けっこう、というよりも、かなり、と言ったほうがたぶん正しい。映画『ミツバチのささやき』、絵本『はっぴぃさん』、小説『タイタンの妖女』、漫画『二十面相の娘』どれも大好きだ。
本来、空想力は、人間が現実と向き合いそれを乗り越えていくために必要な精神の作用なのだけれども、堪え難い過酷な現実から当人の生命を守り抜くために機能する想像力、空想力というものもある。その場合、空想力ができうる救命のための究極の選択は発狂、ということになるのだが、それは別の話。
で、観終った感想だが、

映画『パンズ・ラビリンス』は革命における3つの試練についての映画だった!

いや、牽強付会でも曲解でもなんでもなく、本当にそういう映画なんだって。
(^_^;)
ときは1944年。内戦ののち、フランコ将軍が一党独裁制を確立してから5年後のスペインが舞台だ。
父を亡くした少女オフェリアは、母カルメンの再婚相手である残虐なファシスト、ヴィダル大尉が駐屯している山岳地方に到着する。大尉の子供を宿した母はそこで、日に日に衰弱し、義父は残忍な本性をちらつかせる。一方、山岳部では人民戦線残党のパルチザンが絶望的な抵抗を続けていた。
オフェリアは孤独と不安に苛まれ、恐ろしい現実から逃れようと大好きな童話にのめり込むうち、妖精に誘われるまま牧神(パン)の住む迷宮に足を踏み入れる。パンは彼女に「あなたは魔法の国のプリンセスかもしれない」と告げる。空想好きなオフェリアは、その言葉を真実だと思った。少なくとも、自分が暮らしている現実の世界よりリアルに思えたのだ……。
そこで、オフェリアは牧神パンから魔法の国のプリンセスになるためのみっつの試練を与えられるのだが。
……というのが簡単なあらすじだ。
ギリギリ最後の瞬間まで彼女を救おうと機能し続ける彼女自身の空想力の、身震いがおきるほどのいたましさ、哀しさ、それから、

ひとの心が元来持っている想像力の強靱さというもの……。

映画を観ているひとたちは、その表現に圧倒されて、この映画のもうひとつのテーマになかなか気づかないでいる……と思うのは、この映画の評論をざっとネットで調べてみたうえでの私の感想だ。

もうひとつのテーマとは、「革命の試練」ね。

いや、本当に本当なのよ。
(^_^;)
革命と言って悪ければ、いま世界で吹いている新しい風についての映画なのだと言い換えてもいい。
だけど、「新しい風」なんて言ってもそれはそれでわかりにくいじゃろ?
ともかく、芸術家たちは、時代の風の流れに誰よりも敏感なひとたちで、だからこの映画は1944年のスペインを舞台にした未来についての映画なのだ。
*以下、ものすごネタバレあり。
この映画が本当に逃避のためのファンタジーでしかないというのなら、最愛の母が弟を出産するとともに亡くなったとき、その逃避行動はより深まらなくてはいけないはずだ。しかし、映画ではむしろ、彼女の空想世界はいったん後方へとひき下がってしまう。
少女オフェリアが牧神パンから魔法の国のプリンセスになるためのみっつの試練。
1つめの試練は、腐りかけた大木の地下に眠っている大ヒキガエルを退治して魔法の鍵を手に入れることだ。この大ヒキガエルが大木の栄養分をぜんぶ吸い取ってしまって、だから木は今にも朽ち果てようとしてる。魔法の鍵を手に入れることに加え、この醜悪なカエルを退治することがオフェリアの試練だ。と言葉にすれば一目瞭然、これは、

搾取構造との対決

を意味している。
2つめの試練は、ハードルが高くなる。子どもを食い殺す怪物の眠る部屋に侵入し、テーブルに置かれている豪華な食事にはいっさい手をつけないまま、魔法の鍵を使って短剣を手に入れること。

……変節への誘惑

だ。
出世と引き換えに仲間の組合員を裏切ったり、マンション立ち退き反対運動のまっただ中で自治会長が買収されたり、実によく聞く話(笑)。
そして、牧神パンがにオフェリアに要求する最後の革命のための試練。それは

血の代償だ。

革命の実現のためには、無垢な者の血が必要なのだとパンは言う。ためらうな、考えるな、とパンはオフェリアをせかす。後方からは、銃をかまえたファシストがせまる!
「疑問を持たずにただ従うだけならもはや人間ではない」
という言葉を残し殺されたフェレイロ医師の姿と、牧神パンのおぞましい要求とが鏡のように対比しあう。
革命には本当に血の代償が不可欠なのか?
そうとうなネタバレになるけれど、この映画を撮ったギレルモ=デル=トロ監督は

「ノー!」

と言っている。
3つめの試練に対してノーと答えるために、この映画は作られたと言ってもいい。
物語は終わり、あとはエンドタイトルを待つばかりだ。最後の最後に、森の奥で一輪の花がひっそりと咲く。一番目の試練でオフェリアが大ヒキガエルを退治したあの巨木の枝に、その花は咲いている。
……。
そうだ。
ファシズムの暴風の中で、すべてが根絶やしになったように思えても。

「みんなもっと仲良く暮らそうよ。そのほうがきっと楽しいよ」

オフォリアの業績を消すことは誰にも出来ない。
じめじめとして、暗くて、醜い虫たちがぞろぞろと這い回っている、そんなオフェリアの魔法の国。
その魔法の国よりもさらに醜悪な現実の世界。
どちらにせよ、最後に残ったのは、オフェリアが世界に対して示した小さな勇気、開いて見せた偉大な何かだ。
瞳を閉じるように、そっと映画が終わる。
ここから先は、また違った新しい物語が必要となるだろう。花が咲いたなら、タネも蒔かれていくはずだ。いや、蒔かれなくてはいけない。

と、こんなふうに箇条書きに並べ立てれば、ファンタジー映画のみずみずしさもなにも吹っ飛んで、妙に教条的かつ乾物的になってしまうなあ。
……。
……。
……本当に本当に本当にそういう映画なんだかんね!
ところで、話はがらりと変わるけど、この映画のテーマが「革命の試練」だと正しく捉えてるひとはどれくらいいるんでしょうかね?
ざっとだけどネット上を見回ったところ、この点に言及をなさっているのは、

もとサッカー日本代表監督トルシエさんの通訳をやっておられたダバディーさんくらいだったんだけど。

余計なお世話かもしれないけれど、すっごい不安。
ダバディーさんは日本在住のフランス人なわけで、こういうテーマに敏感に反応できるのは、ヨーロッパの市民運動のなっがい歴史があるからなんだろうか? なんてふと思ったりした。
                       「絵本工房」 溝江純日記より

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