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☆ 肥田舜太郎先生に取材の巻(2)

    ☆ 肥田舜太郎先生に取材の巻(2)

 取材の巻(1)の続きです。
 肥田舜太郎先生のお宅で1時から取材のお約束。30分は早く到着したいものです。
駅前からタクシーに乗ったのですが、先生のお宅がなかなか見付かりません。途中に目印になる建物がない住宅街だからです。
「この細道の奥だと思うので」と、あやふやに言う運転手さん。
言われるままに下り細道を行くと、ありました、肥田先生のお家です。1時10分前です。
呼び鈴を押すと奥様が出ていらしゃって、「いま朝日新聞の方が取材に来られて、長引いているのです」ということでした。
「お上がり下さい」と言われましたが、
11月の中旬で温かく天気も良いので、外で待つことにしました。

1時半を過ぎた頃ようやく朝日新聞の取材が終わり、女性の記者が出てきました。
肥田先生自身が見送りに出て来られて、私に、
「やあ、お待たせしてすみません、入って下さい」と言います。
玄関には百合が花瓶一杯に投げ入れられていて、いい香り。
玄関を入ったところのガラス戸を開けるとそこが洋間の客室です。
朝日新聞の取材は、朝の9時過ぎからだということだったので、
「お昼は?」と聞きますと、
「いいんだ、いいんだ」と言います。
奥様が和菓子を出して来られて、それを食べながらの取材が始まりました。
肥田先生は、お饅頭が好きなんだそうです。

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肥田舜太郎先生を取材する溝江玲子 shine

肥田先生の話は、人間が想像する酷い状況を遥かに越えていました。
皆様は「はだしのゲン」をきっとお読みになっていることだと思います。
肥田先生は、偶然原爆の落とされる前の日の夜中に、6キロ離れた戸坂(へさか)村に子どもの往診を頼まれていきます。
そして、寝坊をしたおかげで、原爆の直撃を免れたのです。
肥田先生のいた陸軍病院は爆心地から500メートルしか離れていないのですから、即死したに違いないのですから。
しかし6キロ離れてさえ原爆の爆風はものすごく、往診した農家の屋根が落ち、先生も飛ばされたのです。6キロです。6キロ離れていた場所でそれだけの影響があったとは改めて恐ろしさを知らされたおもいでした。
先生のお話しを聞きながら、ぜひとも原爆の恐ろしさを伝えなければとの思いを強くしたのです。

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