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未来へつなぐレクイエムを歌うケイ・シュガーさん(3)

   ☆「山本宣治(山宣)へのレクイエ」 ゲスト・浜田紀男さん

有名なので名前はよく知っていても中味を知らないままの人もいます。
山宣もそんな一人でした。
「FMわぃわぃ」ももっちおばちゃんの番組にケイ・シュガーさんと浜田紀男さん(大阪山宣会事務局長)をお迎えしてお話を聞く中で、本当に希有な人だったということが分かりました。
「治安維持法」改悪に最後まで反対の演説をした直後殺害された山宣。

ユーチューブにアップ、お聞き下さいませ
https://www.youtube.com/watch?v=MIrxVn0IQHI&feature=youtu.be

それにつけても希代の悪法といわれた「治安維持法」が「秘密保護法」と名前を変えて甦ったんですね。保護法などと、いかにも保護をし安心だというような名称で感心してしまいます。
このようにうまく言い換えるので、言葉にうっかり騙されないよう用心しなくてはなりません。

山宣は京都市の繁華街新京極でアクセサリー店の一人息子として生まれます。1889年(明治22)5月28日。
両親は熱心なクリスチャン。明治憲法が発布された年でもあったので、宣教師の「宣」と明治の「治」をとって宣治と名付けたのです。
身体が弱かったので、病気療養のため両親は宇治川畔の別荘を建てるのです。いいとこのお坊ちゃんだったのですね。

神戸第一中学校に入りますが病気のため中退。
宣治は花を育てて世の中を美しくしたいと園芸家を志します、優しい人柄だったのが分かります。
この別荘は後に料理旅館「花屋敷浮舟園」となります、歴史は不思議。
有名な旅館ですがお昼はお手頃だと言いますので行ってみたいですね。
園芸家になりたかった夢も有り大隈重信邸へ住み込んで修行。後にカナダのバンクーバーへ5年間留学。
学業が良く出来たことから学者としての道を目指し、ブリタニカハイスクールに入学し首席となります。優秀だったのです。

父が患ったとの報が入ったので帰国するのですが、運命ですね。
恐ろしい時代に向かっている日本に帰ったこなかったらどんな人生を送ったのでしょうか。そんなことを考えてしまいました。

同志社、三高、28歳の時に東京帝国大学理学部動物学科に入学。
大学卒業後、京都帝国大学大学院へ進学。
同志社大学、京都帝国大学の講師を務めます。

1922年3月、日本に来たアメリカの女性産児調節運動家マーガレット・サンガーに通訳として面会。
同年4月、サンガーの著書を『山峨女史家族制限法批判』のタイトルで小冊子に翻訳し発行。
今でも性科学といえば山宣の本があげられる程です。

同年12月、来日していたアインシュタインを都ホテルに訪問、翻訳していたゲオルグ・ニコライの『戦争の生物学』の序文の執筆を依頼。
アインシュタインは、「学術書は書くが、専門以外の序文は書かない」と断るのです。しかし山宣の熱のある説得で序文を貰うことができました。
帰ろうとする山宣を呼び止めたアインシュタインは、
「戦争の足音が近づいているが、それを止めるために何が必要と思いますか。私は学者、文化人が中心にならなければならないと思う」と言います。
それに答えて山宣は「労働者、農民に依拠していくことが大切だと思います」と答えます。

山宣が訪ねた12月10日のアインシュタインの日記に、
「嫌味もなく疑い深くもなく、人を真剣に高く評価する態度が日本人の特色である。
彼ら以外にこれほど純粋な人間の心をもつ人はどこにもない。この国を愛し尊敬すべきである」
と書いています。
浜田さんは、これは山宣のことを書いたのだと思い、治安維持同盟の会報誌に載せたところ、
「これは間違いなく山宣のことだ」
と林直道大坂市立大学名誉教授から寄せられていますので、おそらく間違いないだろうと思います。

1926年1月、京都学連事件で自宅が家宅捜査を受けたので、同年3月同志社大学を辞めさせられます。
1928年に第1回普通選挙が行われました。山宣は京都2区で労農党から立候補し、1万4411票で当選(38歳)。当時の状況からすると驚くべきことです。

同じ年に、三・一五事件が起こり、1600人もの社会運動家が検挙されるのです。
第56帝国議会で、3・15事件などでの官憲の拷問を取り上げて政府を追及。
治安維持の名目で統治者が権力を持つとどうなるか、知り尽くした山本宣治は、「治安維持法」改悪に反対。
1929年3月5日、衆議院で反対討論を行う予定だったが、与党政友会の動議により強行採決されてしまい、討論できないまま可決。
『治安維持法』改悪成立の日の夜、右翼団体のテロリストである「七生義団」の黒田保久二に刺殺。
享年、39歳。

山宣なきあと、日本は満州事変から上海事件へ、太平洋戦争へとつき進んでいくのです。
現在の「特定秘密保護法」が運用されるとは、戦争へまっしぐらの危険を暗示するものと言えましょう!

遺族は第二次世界大戦敗戦まで警察の干渉に悩まされたといいます。
碑文も文句を付けられ、セメントで塗り潰すよう命じられます。
「山宣独り孤塁を守る、だが私は淋しくない、背後には多くの大衆が支持しているから」
この碑文は塗り潰されて、何者かに剥がされる繰り返しだったのです。

なお、墓碑の「花屋敷山本家之墓」を揮毫したのは、宮廷歌人・書家の阪正臣(ばん まさおみ)です。


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