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■ 溝川悠介先生に訊く原発のお話(4)

  ★ .原発導入と日米同盟 

日米同盟と原発は関係ないように思う人もあるのですが、大いに関係があるのです。
まず知っていただきたいのは、原子力によって発電所を作ろうと思って、原子炉が作られたわけじゃありません。

元々は原子爆弾を作る目的で、アメリカはウランを濃縮し原爆を作ったのです。
これが広島に落とされた原爆。
中性子を当てると核分裂し莫大なエネルギーと中性子を放出するウラン235は、天然ウランの中に0、72%という少量しか含まれていません。原爆では、次から次とウラン235の核分裂を連鎖的に行わせなければならず、天然ウランからウラン235を通常90%以上に濃縮しなければなりません。
この方法では莫大な費用が掛かり原爆を沢山作るのは困難でした。

天然ウランの殆どを占める、99、3%の分裂しないウランを使う方法はないか。
フェルミらの研究の結果、核分裂しないウラン238に中性子をぶつけ、核分裂をするプルトニウムを作り出すことに成功。
ウラン238に中性子をぶつけると飲み込んでネブツニウムになり、その後プルトニウムになる。
自然界に無い恐ろしい物質を作り出したわけです。
このプルトニウムで作られたのが、長崎に落とされた原爆です。

shine ユーチューブアップしています、聞いて下さいませ shine
http://www.youtube.com/watch?v=UqcjFb6vGm0

核分裂で出る莫大なエネルギーで湯を沸かしその蒸気でスクリューを回す動力源としたのが原子力潜水艦。原潜で使われる原子炉(動力炉)を陸揚げし、回転するタービンで電気を取り出したのが原子力発電(原発)です。すなわち、原発はもともと原爆の材料、プルトニウムを作るための原子炉(軍事用のプルトニウム生産炉)として開発され、それを発電機として転用したものです。
原発は軍事目的に開発された原子炉の転用ですから、安全性の不備など本質的欠陥を持ちながら、「Atoms For Peace」を錦の御旗にアメリカの核戦略として推進されてきました。

原発が日本に導入された経緯は、前回お話したとおりビキニ水爆被曝のアメリカの責任を不問にし、わずかな「ほどこし金」で政治決着したものでした。
アメリカは「濃縮ウランや原子力技術」の提供で、西側諸国を勢力下に置き、核の軍事ブロックを構築しようとし、日本政府もビキニ事件を原子力技術と原子炉、濃縮ウランを導入するための格好の取引材料として使った節があります。
ビキニ被曝の翌年には「日米原子力研究協定」が結ばれ、アメリカや正力松太郎原子力委員長はその「研究協定」をすぐに見直し、実用的原発導入に突き進みました。
そのような拙速な米国製原発導入に、原子力委員であった湯川秀樹は、「我が国の原子力開発の将来に対して長期に渡って重大な影響があり、原発導入は慎重であるべき」と抗議し、原子力委員を辞任しました。
原子力の「自主・民主・公開」の原則を謳う日本学術会議なども「動力用原子炉に関する日米協定は、実施から米国資本の独占的導入を誘致し、我が国の学術的研究を棄損する恐れあり」との危惧を表明していました。
原爆を2つも落とされた日本に核を持ち込むのは大ごとでした。
そこで、日米両政府や読売新聞社など原発利益共同体は「原子力平和利用キャンペーン」を新聞広告や博覧会で大々的に行い、日本国民の原爆アレルギーの消去と安全神話の刷り込みに躍起となり、一定の功を奏しました。
その結果、「核は平和的に利用出来るんだ。原子力発電は危険ではなく夢の発電だ」などという言葉を信じ込まされ、安全神話に踊らされて、この狭い日本に原発がなんと54基も建てられてしまったという信じられないようなことが現実なりました。

日本で最初の原子力発電が行われたのは1963年で、原発立地反対運動も強く、原発は60年代の立地地域に集中し、電源3法(1974年)などで立地地域に多額の交付金をばら撒き、金で原発推進体制を構築していくのです。
また、原発の燃料濃縮ウランは、日米原子力協定によってアメリカから貸与され、使用済核燃料のアメリカへの返還、貸与燃料を目的どおり使用すること、使用記録を毎年報告することなどが取り決められていました。
原子力協定も、日米安全保障条約のもとにあり、アメリカの指導あるいは思惑の範囲内で日本の原子力行政が行われてきました。
その枠組みの中で使用済核燃料の再処理などを自由にできるように対米「交渉」もしてきました。
米国内では「日本の核武装懸念」から反対も根強かったが、1977年にやっと再処理が認められ、自前でプルトニウムを手に入れる道ができました。
しかし、まだ再処理をするにはアメリカにいちいちお伺いを立てていて、アメリカ議会の承認も必要で煩雑な手続きと長時間が必要でした。
1987年に中曽根首相は「日本列島を不沈空母にする」などを掲げ、防衛・経済両面で大幅に米国にすり寄り、レーガン大統領に日米原子力協定の改定を取り付けた。その結果、核不拡散条約(NPT)体制下で、国連常任理事国を除けば、唯一日本だけが核燃料サイクルを認められる国家となり、2018年まで堂々とプルトニウムを保有する資格を得ました。
ただし、改定原子力協定(1987.11)では「安保条約が絶対条件」で、「包括同意」(自由に再処理することのできる権利)は認めるが「米国の国家安全保障を脅かす事態の場合は、包括同意を停止する」とされています。 

このようにして、使用済み燃料はフランスなどに送って再処理をして貰い、プルトニウムを取り出して貰っていました。
現在は、六ヶ所村の再処理工場で作業をやるということになっていますが、トラブル続きでうまく再処理ができていません。
一方で原発を動かしているので、使用済み燃料はどんどん溜る一方。それを原発の敷地内の水を張ったプールに浸けて冷やしているというわけです。これは非常に危険です。堅固な格納容器に入っていない状態で、いわばむき出しのままでなので、地震で倒れたりして水が無くなると放射能が飛び散り日本滅亡という大事故になる恐れもあるのです。
第1回目にお話しした大飯原発差止福井判決でもこの点が正しく強調されていました。
福島の事故の時に、4号機のプールに使用済み燃料があり、それが倒れたら日本は壊滅すると大騒ぎ。しかし幸いに倒れませんでした。このような万に一つの僥倖を頼みにしてとことんまで進んでしまうのは計り知れない危険を呼び寄せることになります。

使用済み燃料、死の灰など溜る一方。危険なことに目を背けて安全だと言い原発を動かしたいのは、日本の支配層には、プルトニウムを手に入れて、核を持ちたいという潜在的欲望が強くあるからです。外務省の極秘文書「わが国の外交政策大綱」(69年4月25日)には次の一文があります。「核兵器については、NPTに参加すると否とにかかわらず、当面核兵器を保有しない政策をとるが、核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャルは常に保持するとともに、これに対する掣肘(妨害)を受けないように配慮する」。
さらに2011年自民党石破茂政調会長(当時)は、正直に報道ステーションで「原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。日本は核を持つべきだと私は思っておりません。しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですか、私は放棄すべきだとは思わない。」と語っています。

2012年改正された原子力基本法では「原子力の研究は、我が国の安全保障に資することを目的」とすることが追加されました。この改定により、日本の原発など原子力研究が軍事利用に道を開くものとして国内外から核武装懸念の声が広がっています。

安倍総理の祖父の岸信介は核武装合憲論者で、安倍首相はおじいさんの意志を継いで憲法9条を変えようとしています。「原発推進」路線は、安倍内閣の経済的にも軍事的にも「戦争をする国づくり」と切っても切れない関係にあるのではないでしょうか。そんな安倍首相が抑止力のための集団的自衛権容認と同じく「抑止力のため核開発」を言わないとも限りません。

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