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溝川悠介先生に訊く原発のお話(3)

  ★ 原発導入とビキニ水爆実験

 「FMわぃわぃ」の「ももっちおばちゃん」のコーナーに、溝川悠介先生お招きいたしました。
福島の事故で大問題を抱えていることが知れ渡った原発。そのような原発が何故どういう経緯で日本に導入されたのか。原発が日本に持ち込まれてしまったのは、不思議に思われるかも分かりませんが、ビキニ水爆実験がきっかけになりました。

shine 第3回目のお話をユーチュブにアップいたしました ↓
https://www.youtube.com/watch?v=y9LvXAzEg8E

この時代は米ソの冷戦の時代で核開発競争が激しくなっていたとき。原爆の何千倍も威力のある水爆の開発競争が起ります。そのような原水爆核兵器開発競争に反対するストックホルムアピールが1950年に出され、瞬く間に世界で5億筆の署名が寄せられました。
アメリカは核兵器開発をカモフラージュし、人々の眼を核兵器からそらすため、1953年12月、アイゼンハワー大統領が国連で、有名な「Atoms For Peace(平和のための原子力)」という演説をしました。その数か月後、1954年3月1日、マグロ漁船の第5福竜丸がビキニでの水爆実験で被曝をするのです。
「西から太陽が昇った!」。珊瑚礁のかけらが船に降り注いだ中を、第5福竜丸は日本の焼津港に帰り着きました。もの凄い放射能です。乗組員は全員被曝入院し、9月には久保山愛吉さんが病院で死亡。日本中の多くの港ではガイガー計数器で放射能測定をされ、折角捕ってきたマグロも捨てられてしまいます。日本中が大パニックになった事件でした。
杉並区の主婦からはじまった「原水爆禁止」という署名運動が、またたくまに3千万人もの署名が集まったというほどの大衝撃事件だったのです。そこから原水爆禁止運動は、全世界に広まり、次の年には「原水爆禁止世界大会」「日本母親大会」が開催され、今日までずっと続いています。
第5福竜丸事件はよく知られていますが、その他にも日本中のマグロ・カツオ漁船が、実に1千隻の船と2万人の乗組員がビキニ環礁近辺で被曝をしています。その当時は、雨が降ってきたら「放射能の雨や、濡れたらあかん、毛が抜ける」と恐れおののき、食卓から魚は消えてしまったものです。
これほどの核に対する恐怖、もの凄い反対運動が起こったのに、なぜ原発が日本に導入されてしまったのか?
アメリカと日本の政府間秘密交渉だけで決まったことがあります。
漁船の放射能被曝損害額は、政府の見積もりでも25億円に達していたにもかかわらず、日米政府が最終的に決着した金額は200万ドル(7.2億円)、日本政府はこのビキニの被曝の問題にけりをつけ、「アメリカの責任を今後一切問わない、補償を要求しない」という政治決着を行いました。アメリカは、「被曝の法的責任はない」とし、「賠償金」は人道的「ほどこし」と捉えていました。日本政府もこのビキニ事件を原子力技術と原子炉、濃縮ウランを導入するための格好の取引材料として使った節もあります。
アメリカは「濃縮ウランや原子力技術」を外交カードとして、西側諸国を勢力下に置き、核の軍事ブロックを構築しようとする方針を持っており、日米政府の思惑は一致しました。そのため「賠償交渉」はビキニ被曝後わずか9か月で決着させ、マグロ漁船の放射能検査も中止し、1955年1月には、日米原子力協定の密約がなされ、原子炉と濃縮ウランと原発技術を日本に導入を決めてしまいました。
当時の高知をはじめ日本国中の被爆乗組員や漁船は、「公にすれば、漁業ができない、差別扱いされる」などの様々な有形無形の圧力によって、「治療や賠償」の声も上げられず、泣き寝入りを強いられ、多くの被爆者はガンで若死してしまったそうです(最近映画やTVでも話題の「〜放射線を浴びた〜X年後」参照)。まさに、ビキニ被災者たちは、日本の原子力発電の人柱にされたともいえるわけです。
危ない、危険だと思っていた国民には知られないよう、「原子力の平和利用」というウソの名目で原発を導入したのです。政治家で旗を振ったのは、正力松太郎と中曽根康弘で、読売グループを総動員して日本国中で「原子力平和利用博覧会」の大キャンペーが行われました。
そのようにして、ウソに気が付かず、平和利用と信じて大変危険なもの、原発を建設してきました。国民の命よりも経済、お金の方が大切だということです。日本で最初にノーベル賞をもらった湯川秀樹博士や学術会議など多くの科学者は、アメリカ言いなりの原発導入に警告を発し続けました。ウソを見抜く目を持たないと大変なことになります。
さらに、もともと原子炉は原爆の材料プルトニウムを製造するための機械であり、原発を運転すると必然的に使用済み核燃料の中にプルトニウムも製造されます。そのような原発を持っていることが、潜在的核開発能力を示すこととなり、原発は「核抑止力」として働くことを石破自民党前幹事長などは公然と言ってはばかりません。
「FMわぃわい」第1回目でお話ししました大飯原発の判決も、大きな勇気を持ってなされたことです。このような判決を下した裁判官も出世は出来ないと言われています。しかし樋口英明裁判長はそれでも判決を出されました。国民の後押しがあったからこそでしょう。みんながこういう気持ちにならないといけないでしょう。自分が可愛いだけではいけません。
恐ろしい福島の事故が起ってしまった。これで目を覚まさないなら、もっともっと酷いことが起るのではないか。賢くなってウソを見抜く力を持たないといけないと思います。
声を上げなければなりません。一人一人の声は小さくとも、あつまって大河となし、国を動かしえる力となることに確信を持ちましょう。


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