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2014年7月

日本の広島に原爆が落とされて(3)

    ■ 日本の広島に原爆が落とされて(3)

 人間ならとても耐えられないような、悲惨な、残酷な日々。
肥田舜太郎さんを取材して「ヒロシマの記憶 原発の刻印」を出版、その抜粋(3)を送ります。

原爆の落ちたその日の夕陽が沈んでも、不気味なきのこ雲は大きく私たちの頭の上を覆っていました。その下で、ようやく逃れてきた人たちが、血まみれの姿でうめき、泣き、叫び、もがき苦しんでいた。私たちは蝋燭の灯をたよりに夜を徹して必死に応急処置を続けました。
その時点では戸坂村だけで一万人近い患者が避難。
軽傷者はなく、酷い火傷をしている人ばかり。
治療といっても、火傷の治療と、身体に突き刺さったガラスの破片を取り除く作業がほとんどでした。
体のなかにまっすぐ突き立ったように刺さっているガラスはほとんどありませんでした。
ガラス片が体に刺さった瞬間、刺激で筋肉が緊張するんです。
すると、皮膚とその下にある皮下脂肪の下側を、つまり筋肉の上をガラス片がすべって横に流れるんです。
頭に刺さったガラスもそういうふうになっている、頭の後ろに、三角のガラス片が体内で曲がって入っているんです。
突き刺さったガラスの入り口は小さな穴です。取りようがなくて困りました。さわっているとバリンと割れちゃうのです。
仕方がないから、傷口を切って、大きく穴を開けて、なかにコッヘル鉗子(外科手術で物を挟むときに使う鋏型の金属器具)を入れて引っ張るしかない。
しかし、麻酔もありません。患者がじっとしていてくれたらいいけど、当然苦しがってもだえます。すると、コッヘル鉗子で引っ張る瞬間にパリンとガラス片が体のなかで割れてしまう。

顔から胸にかけてひどく焼かれた若い女性の、胸に深く入った大きなガラス片を抜こうとしていたときのこと、
三角形のガラス片をコッヘル鉗子でつまんで、そおっと引っ張っているときです。
すぐそばで、赤ん坊をおぶった若い母親が、治療している私に泣いて訴えてくるんです。
母親の言うには、子どもが四人いたが、あっというまに家は火の海になり、三人の子どもは助けようもなく、火のなかで死ぬのを見た。
「一人だけ、この赤ん坊だけ自分は背負ってきた。だからこの子は私の子の代表、四人ぶんだ。この子を助けてください」
そう言って、わあわあ騒ぐんです。彼女自身、顔も頭も胸も火傷をして凄惨な姿なのですが、そんなことはかまっていない、
とにかく、一人残った子どもを助けてくれと叫ぶ。
背負われた子どもは、母親の背中の上で、がっくりと頭を垂れちゃっていた。
子どもの太ももの裏側の部分が大きく引き裂かれていました。
動脈が切れて出血して赤ん坊はすでに死んでいるのは明らかでした。
でもそのお母さんには、そのことが分からないんです。
他の人が順番を待っているんだけど、子どもをどうか助けてくれと騒ぐんです。
赤ん坊はもう死んでいるからと言い聞かせられる状態じゃない。
母親は押さえられていたのですが、その腕を振り払って、
若い女の胸に刺さったガラス片を抜こうとしている私の腕にすがりついてきたものだから、ガラスが砕けて胸深くに入り込んでしまった。
このままでは治療も出来ないと思い、
「助けてあげる、おぶっている子どもを下ろしなさい」
と私は言った。子どもをおぶっている縄を切って、赤ん坊を下ろさせて、傷口にヨードチンキを塗って、ぼろ切れで巻きました。
「とりあえず今晩、これだけしておく。
明日の朝になったら元気が出るから、おっぱいだけはちゃんと飲ませろ。今晩はしっかり寝かせろ」と言った。
すると母親はやっと落ち着いて……一部始終を見ていた周りの人はみんな泣くんです。
赤ん坊がすでに死んでしまっていることを母親だけが知らないのですから。
この母親はどうなったかというと、被爆後五日目くらいに放射能の急性症状で血を吐いて、髪の毛が抜けて、最後には死にました。

私たちはみな、
人間ならとても耐えられないような、悲惨な、残酷な、そんな日々を何ヶ月も過ごしたのです。

Hon_hida_2

shine 遊絲社 「ヒロシマの記憶 原発の刻印」出版にいたるまで shine

核兵器廃絶のいろんな運動があるけれども、
私はね、街がひとつ破壊されたとか、そういう被害の規模の大きさに心を奪われてばかりでは駄目だと思っているんです。
原爆が爆発して、多くの人間がそのとき即死しただけじゃなくて、極端に言えば、原爆投下から今の今、今話しているこの時間にも、ずっと殺され続けているのです。このことが原爆というものの真実の姿なのだと、どれだけの人が知っているか。

なぜ広島は空襲の対象から外されたか。
実は、後で調べたら、アメリカは広島の街を原爆用にとってあったのです。
表向きはナチスドイツに使用するために造っていたはずなのに、
原爆が広島に落とされる二年前にもう、まずは日本相手に原爆を使うことが決まっていたらしいのです。
そして一九四五年の春には広島に原爆を落とすと決めていたので、
その原爆の威力を終戦後に調査するためにも、広島の街を無傷のままにしておきたかったのです。

人類史上初めて造る原子爆弾の威力、わけても特に放射線の影響を、あとあと調査するために、
広島の平たい地形とか、そうしたことも考慮に入れて、いの一番の候補になった。
それが広島に原爆が落ちた理由であり、それまで広島に空襲がなかった理由だというのです。

もうひとつ、広島に原爆が使用された理由は、次の敵性国家であるソビエトに対して、
アメリカはこういう途方もない大量殺戮兵器を持っていると実戦で示したかったということです。
アメリカは、大都市を一瞬にして廃虚にしてしまえる爆弾を持っているぞ、
という威嚇のために、広島、そして長崎に原爆を投下すると決めた。
ルーズベルト大統領が死んで、ひきついだトルーマンは、
ドイツ、日本との戦争終了後に敵対することになるソビエトに対して、有利な立場を確保したかった。
トルーマンにとって、その最初の仕事が、ポツダム会議だった。
実際にドイツを負かしたのはソビエトですから、スターリンの発言力が欧州では急激に高くなってる。それに対してトルーマンは、なんらかの政治的、軍事的切り札が欲しかったというのはあると思います。
原爆実験の成功の報告は、トルーマンは待ち遠しかったんだけど、ポツダム会談に向かう船に乗る時点ではまだ実験は成功していなかった。
実験が行なわれたのは七月一六日で、アラモゴルドでの原爆実験成功の報をトルーマンが聞いたのは、ポツダムの地についてからでした。
これで、何よりも力を持ってトルーマンは交渉に行った。
広島、長崎への原爆投下の理由は、そうした純粋に戦略的な理由からでした。

ソビエトは、ナチスドイツが連合軍に降伏するずっと前から、アメリカ、イギリスの要請を受ける形で、日本に対して参戦することが決まっていた。

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■ 日本の広島に原爆が落とされて(2)

   ■ 日本の広島に原爆が落とされて(2)
もうすぐ8月6日がやってきます。広島に原爆が落とされた日です。
肥田舜太郎さんは軍医でした。爆心地からたった500メートルしか離れていない第一陸軍病院で、仲間と入院患者たちといっしょに、即死しているはずでした。
それが、広島から6キロ離れている戸坂村に住んでいる農家のおじいさんから、とつぜん孫の往診を頼まれたおかげで九死に一生を得ました。
救援に向かった広島はどうだったのか。続いて第2回目をお送りいたします。
「ヒロシマの記憶 原発の刻印」肥田舜太郎/遊絲社(ゆうししゃ)の一部を順次紹介していきたいと思います。

     ★「ヒロシマの記憶 原発の刻印」より抜粋、第2回目 ★
私は、川の流れのなかを一生懸命歩いた。しかし、陸軍病院に向かっているあいだにも、七、八メートル上から、人間が落ちてくる。どしゃっという音とともに。這ったり歩いてきた人間が、川の水を飲もうとして、そのまま、まっすぐ落ちてくるんです。
川にばしゃんと落ちる。あとは川底を転がって、すうっと流れて行く。

もうちょっとで広島というところまで行ったら、ちょうど広島は燃えている最中でした。
ごうごうと猛烈な風が吹いていた。火事が起こした風です。火事の現場では、家が一軒燃えていても、ものすごい風が吹くんです。それがもう、街中が燃えているんですから。
熱風がごうーっと吹いてくる。そうすると真っ黒い煙があたりを蔽って、何も見えなくなる。流れている川が熱風ですくわれる。頭からざぶーんと波をかぶる。

登ろうとする石垣の上が、燃えているんです。川っぷちまで家があるんですが、それがいま燃えている。
燃えている家の火のなかから、火に焼かれた人々が次々と川に飛び降りていました。
みな、上半身は裸です。いま焼けたばっかりですから、全身が真っ赤です。
目の前の石垣から、体を火に焼かれた人が、こぼれ落ちるように川に飛び込むんです。
もうすでに何人かが落ちていて、死んでいる。そこへ人がさらに落ちてきますから、死体の上で体がはねる。
死体にはねた人間が、ばしゃんと水に落ちる。私の周りで、そういうことが起きている。
それでもまだ生きて頑張れる人は、起き上がって、必死に向こう岸へ歩いて逃げようとする。
そのまま流れていっちゃう人もいる。
人間が次から次へと飛び込んでくる。人が落ちてくる。
死体、そして生きている人。
流れていくのと、歩いていくのと。

歩いている人もいっぱいそばを通る。みんな腰から上が焼けている。どの顔もこの顔も、猛烈に焼かれている。すごい顔ですよ。それでも生きて歩いている。この地獄から逃げ出そうとしている。

川のなかは、すでに死体がいっぱいになっていた。
川の水は、自分の足が見えるような、透明なきれいな川です。川底の砂の上を流れて行く死体もある。見るとそれは、小さな赤ん坊の死体だった。
自分はどうしたらいいのか。
この人たちをどうしたらいいのか。
空を見上げると、この地獄の上の空は明るかった。夏の青空に傘を開けるだけ開いたきのこ雲が五彩に輝き、上からせせら笑っているようにこの地獄図を、そして私を見下ろしている。
Hirosimagenbaku

医療器具もなくただ立ち尽くしているだけではなんにもならない。ここは村に戻ってそこで村人といっしょに医療体制を整えるべきだとも考えましたが、この人たちを捨てて逃げるようなことになるのではという気がしてきます。
上流から兵隊を乗せた和船がやってきました。私の近くまでくると、将校がじゃぶんと水の中に飛びおりて、兵隊にも川に飛び込ませて船を押さえさせた。そしてその将校が私のそばまで歩いてきて
「おまえ、医者のくせに、こんなところで何をしている!」
って言う。
顔見知りの将校でした。私は、
「何してるって、いまから病院に行こうとしている」と答えた。
「馬鹿言えっ! この火のなかに入って何ができる。病院があるかどうかも分からん。もし病院が残っていたら、おまえが村で医療活動をしていると病院長に俺が報告してやるから、すぐここから引き返せ。村へ行って医者の仕事をしろっ!」と言うんです。
言われてみればそのとおりだ。それでやっと決心して、「じゃあ、あとは頼む」と川をのぼって、三時間くらいかけて村へ戻りました。戸坂村へ川の水をかき分けての戻りは、とてつもなく長く感じました。

息を切らせながら、戸坂村の近くの堤防を上がった私は、呆然としました。逃げてきた人が、道路といわず空き地といわず、校舎の残骸が散乱する小学校の校庭といわず、見渡す限りいっぱい倒れている。村は負傷者で足の踏場もない。村の入口辺りでは、肉塊が山のように重なりあっている。下になった人は死んでいるのか、死臭と血の臭い、焼けただれた肉の臭いが混じりあった異様な臭いが辺り一面に漂っている。目玉が飛び出し胸の上に垂れ下がっている者、肛門からはらわたがはみ出している者もいます。そこへ引きも切らず後から後から、血みどろの人が、大火傷を負った人が次から次へと死体を乗り越えてやってくる。村の奥へ、奥へと。
校庭の隅に作られた治療所。
最初の晩にきたのが六〇〇〇人です。

Hon_hida

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人口わずか一千四百人の小さな村に六〇〇〇人ですから。六〇〇〇人がきたら、もういるところがないんですよ。
あらゆる地べたに、空き地に、寝ている。
四日目の八月九日の朝には二万八〇〇〇人になった。
  (続く)

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日本の広島に原爆が落とされて(1)

   ■ 日本の広島に原爆が落とされて(1)
もうすぐ8月6日がやってきます。広島に原爆が落とされた日です。
肥田舜太郎さんは軍医でした。爆心地からたった500メートルしか離れていない第一陸軍病院で、仲間と入院患者たちといっしょに、即死しているはずでした。
それが、広島から6キロ離れている戸坂村に住んでいる農家のおじいさんから、とつぜん孫の往診を頼まれたおかげで九死に一生を得ました。
6キロ離れてたところではどうだったのか。
救援に向かった広島はどうだったのか。
「ヒロシマの記憶 原発の刻印」肥田舜太郎/遊絲社(ゆうししゃ)の一部を順次紹介していきたいと思います。

  ★「ヒロシマの記憶 原発の刻印」より抜粋 ★
実は戦争末期のこの時期には、B29は、そんなふうに毎日のように、朝から広島の上空に侵入してきていました。三、四機でくる。あるいは一〇機くらいでくる。または二〇機、三〇機の編隊がくる。そのたんびに空襲警報が鳴るんです。なのに、一発も爆弾が落ちないんです。上空を通ってはよそに行くんです。
それを当時、誰もが不思議がっていたのです。「広島にはどういうわけか爆弾が落ちない」と。
数十機の編隊がきても、広島には爆弾を落とさない。理由は当時は皆目わからなかったけれども、編隊でも爆弾を落とさないのに、今日は見たところ一機だ(肥田先生の目に入ったのは)。まさか爆弾を落とすまいと、まったく心配もしませんでした。
目の端に飛行機を見ながら、子どもに注射をするために注射器の針を上に向けて、なかの空気を押し出そうとしたとき、強烈な光が、ぱっと目のなかで炸裂した。それとともに、ぶわっと熱風が顔や腕をなであげた。
目がくらんで、目の前が真っ白になってしまった。あっと声を出したかどうかは覚えていません。注射針がどうなったかも覚えていません。ものすごい閃光です。
光っただけではなく、熱かった。光った途端に顔や腕に熱を感じた。
私は、本能的に目を覆って伏せた。熱と光は瞬間のことでした。
しばらく伏せていたのですが、何も起こらない。爆撃を受けたわけではなかったのか?
「おかしい、どうも静かだ」
何が起きたのかと恐る恐る顔を上げ広島の空を見ると、突然、雲ひとつない夏の青空に、巨大な指輪を横たえたように、大きな丸い火の輪が浮かびました。
と、その火の輪の真ん中に突然、小さな白い雲の塊ができた。その白い雲は瞬く間に大きくなり、そして火の輪にくっついた。するとそれがそのまま真っ赤な火の玉になった。いわゆる「火球」になる。記録によると直径が約三〇〇メートルだったのだそうです。
私が見た感じでは、三〇〇メートルなんてものではなく、もっと巨大だった。目の前の空間に、ものすごい大きな、真っ赤な火の玉がいきなりできていた。太陽としか思えなかった。二つ目の太陽が目の前にできたとしか思えなかった。
恐ろしいのだけれど、目はくぎ付けになった。目を離すことが出来ない。ずっと見てたら、その火の玉の上の方から雲がどんどんどんどん昇るんです。同時に下は広島市を踏みしだく巨大な火柱となった。
私がその光景を見ていた戸坂村と広島の間には、丘があるのですが、その丘の向こう側に火柱が立っている。そういう光景でした。火柱は五色の光を放っていました。五色の光はチカチカ光ってきれいなのです。きれいと言っても、生まれてはじめて見る光景ですので激しい恐怖を感じました。あまりの恐怖に腰をついたまま五色の光を見ていました。
「キノコ雲」とのちの文献では書いてあるけども、あれは後になって写真を見て名前をつけたんです。少なくとも私には、当時は火柱に見えた。丘の連なりの向こうに巨大な火柱がそびえ立っている。
やがて、丘の向こうから黒い雲が、帯のようにずうっと地面を低くなめるように現れました。不気味な黒い雲が丘の稜線いっぱいに顔を出した。
大量の土砂と砂塵をいっぺんにまくり起こしたので、黄色くも見えるし、黒くも見えた。そういう雲。
それが波のようにくねりながら、広島との境にある山を越えて丘を乗り越えてこちら側に崩れ落ちはじめた。
広島の街の幅いっぱいの雲が、こちらに向かってまさしく波のようにうねりながら覆いかぶさって崩れ落ちる。そして、そのまんま渦を捲いて、私のほうに波の雲が走ってくる。林やら町やらぜんぶ巻き込みながら。それを、どうすることもできず呆然と私は見ていたんです。
その雲の波が、私のいるすぐそこまで迫ってきた。すぐ下にある木造二階建ての小学校の屋根の瓦が、風に巻き上げられた紙くずみたいに、がーっと舞い上がるのも見ていました。
その雲の波があっという間に村へ入ってきた。私がいた農家はちょっとした丘の上、高いところにあって、真正面から見えた。雲が津波のように押し寄せて、いきなり私の体をものすごい力で吹き上げた。
家のなかを、私はまさしく飛んでいました。飛んでいるあいだは私の覚えでは一秒くらいで、その一秒のあいだに天井がばかっと口を開けて、大きな農家の屋根が吹きぬかれて、青空が見えた。その瞬間に私は大きな仏壇にぶちあたって、その上に吹き飛んだ屋根が崩れ落ちてきて、子どもと二人、下敷きになりました。
Hon_hida
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(中略)
子どもは無事だ、よかったと思い、広島の街の方をみた。火柱です。広島の街から巨大な火柱が雲になり空に向かって湧き昇っていく。そして傘のように開いていく。その広島の街全体ともいえる巨大な火柱の下には人間がいるのだ。私は総毛立ち震えました。
病院に帰らなければなりません。

村の中を通ったんですが、村の家は傾いたり、壁が崩れたり、障子が飛んだり、被害のない家は一軒もなかった。爆心地から山を隔てて六キロという場所でも、そういうありさまでした。
村人はみんな、何が起きたのか分からないものだから表に出てきてわーわー騒いでいるんです。人口千四百人くらいの小さな村です。だけど声をかけている余裕がないから、走り抜けて街道に出た。後で聞いたら、五、六軒の家がつぶれてしまい、家の下敷きになって死んだ人もいたらしいです。川の堤防の上を広島へ行く国道が通っている。その太田川沿いの道を自転車で走り下った。
いまでこそ自動車が通る大きな国道ですが、当時は荷車が二台、すれ違うだけの幅の砂利道でした。
広島に向かって下り道の砂利道を自転車で駆け降りる。スピードが出る。ひたすら病院に向かって自転車で走っていきました。そこまで道では誰にも会わずに、ちょうど道半ばというあたりまで来たとき、被爆者に出会ったのです。私が出会った最初の被爆者でした。
  (中略)
一〇〇メートルくらい先です。一体なにが出たかと見つめました、牛や馬より小さいんです。縦に長くて。そうです、人間くらいの大きさの、縦に棒のようなものが、ふらふらしている。だけどまったく人間には見えなかった。
黒いんです。上から下までが。ちょうど季節は夏ですから、外出する時はみんな白い衣服を着ているはずです。それが上から下まで真っ黒。目を凝らして近づくと、体からボロ切れのようなものをいくつもぶらさげている。手はだらりと力なく前につき出して、その手の先からもボロ切れのようなものをぶら下げている。ぼろを着ているのかと思った。
縦に長い棒には頭がついていて、だけど、顔らしきものが見当らないのです。とにかく真っ黒。異様に大きな頭。人間なら目のあるあたりの場所がふたつ、まるで饅頭みたいに腫れ上がっている。
鼻がない。顔の半分くらいが口。上下の唇がグロテスクに膨れ上がって、それで、耳のあたりまで口があるように見えたのです。焼け爛れた頭には、まったく毛がない。
なにがなんだかわからず、恐いと思った。自転車を止めて、呆然と見ていた。すると、その黒い“人間に似た何か”は、だんだん近づいてくる。
「ううっ、ううっ」
って弱々しく唸るんです。そして、こっちに向かって歩いてきた。
向こうはこちらが見えたらしくて、足が少し速くなって、私によろよろと抱きつこうとしてきた。助けてもらおうと思ったんでしょう。
その黒い何かは、私が置いた自転車につまずいて、目の前にばたっと倒れた。そのときはじめて、私にもそれが人間だということが分かった。
バッと駆け寄って、医者ですからまず脈をとろうとその人の手を取った。そうしたら、その手がずるずるの赤剥けなんです、肉なのです。背中を見たら、一面焼けていて、ガラス片がいくつも突き刺さっている。はじめボロを着ていると思っていたけれど、上半身裸だった。ぼろだと思ったのは、その人の生皮が剥がれて、ぶらさがっていたものだった。脱ごうたって、脱げるもんじゃなかった。
人間の体の表皮が焼かれて、爆風で剥がされたものだったんです。
こんなの、見たことがありません。
なんだか分からない。
でも、形は人間だし、人間には違いない。
ずいぶん後になってから分かったことですが、原爆の爆発の直下にいた人たちは焼き殺されました。その熱線は、地上では六千度に達したとも言われています。ただ、その熱線は、非常に短い時間に瞬間的に出たものでした。だから、直下にいた人々は一瞬にして焼け死んだんだけど、離れた場所で熱線を瞬間的に浴びた人たちは、表皮という部分が焼かれて、ペロッと剥けてしまった。
瞬間的だから火傷しても表皮の下の組織は焼けていないのです。それがあのときの火傷の特徴でした。一秒の何分の一という一瞬に、途方もない熱線を浴びたのです。
皮膚が剥がれて脈もとれないという状態の人に対して、医者として何もできないままに、その人は痙攣を起こして動かなくなってしまいました。
それが、私の会った最初の被爆者であり、死者でした。
医者の私ですら見たこともないような、こういう酷い怪我をした人が出てくるようじゃ、あの火柱の下は、想像を絶することになっているだろうと私は思った。
広島市に戻っても、そこに病院が残っているのだかないんだか、分からないとも思った。

亡くなった方を拝んで、その体の下から自転車を引っ張り出して、自分を叱咤して病院に向かおうと自転車にまたがった。
ふと前を見たら、道の向こうから同じように生皮のぼろをぶら下げた人がいっぱい来るんです。
よろよろと歩いている者もいる。歩くこともできずに、ほとんど這っている者もいる。互いにもたれ支えあって立っている者もいる。皮膚が赤剥けになって、ずるずるになって垂れている。赤剥けの体に埃やら泥をかぶって、真っ黒になっている。
そういう人たちが、道いっぱいに広がって、こちらに向かってくる。爆心地から逃れてくるわけだから、どんどんやってくる。

それで自転車を捨てました。道ではなく、川のなかを行くことにしたのです。
七、八メートルの崖の下に、太田川が流れている。ちょうど腰くらいの深さの川で、私は目をつぶって飛び込んだ。
川を歩いていけば、かならず広島に入る。陸軍病院の手前まで川のなかを歩いて、そこから土手を登っていけばいいと考えた。
   (続く)

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☆ 芽子さんと心斎橋大学の「あなたにとどけるものがたり」と「旅するコットン人形」

藤本芽子(まいこ)さんをお招きしての第4回目。
芽子さんは、昨年、ポストカード絵本「旅するコットン人形」を出版いたしました。
「旅するコットン人形」は、児童文学者 かすみ風子さんとのコラボです。
芽子さんがコットン人形をお披露目したのは、実に初めての展覧会のときです。

http://www.youtube.com/watch?v=nK_TzCWACHk

ユーチューブ聞いてね。藤本芽子さん、かすみ風子さん、溝江玲子 heart04

それから何年か経って、藤本義一氏の「 書 」と芽子さんとの展覧会があり、かすみ風子さんは出かけました。
かすみ風子さんはペンネームです、本名は藤田恵子さん。
藤田さんは、そこで目にしたコットン人形に一目惚れ!heart01

そうそう、藤田恵子さんは心斎橋大学の児童文学科の1期生なんですよ。
心斎橋大学というのは藤本義一総長が、関西からプロの作家を!という熱意で作った学校です。
さて、児童文学専門コースに集まった生徒さん達が「本を作りたい!」と大いに盛り上がって、
大学院に進んで本を作ることになりました。
それが「あなたにとどけるものがたり」の出発だったのです。
児童文学の講師が、ラジオネームももっちおばちゃんこと溝江玲子。

話を元に戻します。
藤田さんは藤本義一先生の作品を購入してサインの列に並びます。
「君は、ふじただったね」
「ちょっと待って下さい、ペンネーム考えます」
その日は折しも、藤田さんの故郷「城崎郡 かすみ」が無くなる日でした。そこで、
「先生、かすみにして下さい」
「名前はまだ考えてません、、、え〜と、、、」
目を上げると、義一先生の【 風 】という50万円の「書」が。
「風、風子にします」
義一先生は、
《 風 どこから吹く 》 という言葉をそえて下さって、
かすみ風子が誕生した記念の日になりました shine

風子さんには書きたいものがあります、それは無くなってしまった故郷のこと。

その他に、溝江の方にも面白いエピソードがありますよ。
ある夜、電話が掛かってきました。2階にいる私に、
「お母さーん、ふじもとっていう人から電話!」
(ふじもとって、誰やろ?)coldsweats01
駆け下りて電話を取ると、なんと藤本義一先生。
先生が私の電話をかけてきたのは初めてでした。
「今度の作品〈 但馬牛 〉いいなー」
それはかすみ風子さんの作品です。嬉しかったのなんのって shine
「あなたにとどけるものがたり」を続ける励みにもなりました。
風子さんは、毎年作品を発表してくれています。
さて、風子さんはコットン人形を連れて旅をします。
色々なところで写真を撮り、川柳を一句ひねって、ブログにアップしています。なんと毎日アップで、5千句にも。
そして「旅するコットン人形」として出版、芽子さんと風子さんのコラボでポストカード絵本です。

今年の「あなたにとどけるものがたり 9」は、実は特別号なのですよ。
芽子さんのイラスト付きで詩・ポエムが 31編入っています。
私が芽子さんの個展に行くと、絵の一つ一つにメッセージが添えられているのですね。
そのメッセージの感性が素晴らしくて、いつも「写して帰ろうかな」と思っていました。
その願いが叶って、この「あなたにとどけるものがたり 9」に、寄稿して頂くことになりました。
この9号は、特別号です crown
みなさん、読んで下さいね!

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☆「詩とファンタジー」でイラスト優秀賞を受賞した藤本芽子(まいこ)さん(3)

 ☆「詩とファンタジー」でイラスト優秀賞を受賞した藤本芽子(まいこ)さん(3)
「FMわぃわぃ」では先週に引き続いて藤本芽子さんをお迎えして第3回目をお送りします。
小さいころから、絵が好きだったという芽子さん、「詩とメルヘン」という雑誌に
小学1、2年、いやそれよりも前から投稿していました。
応募要項も考えずに、作品を四つ折りにしたりして。 微笑ましいですね happy01
http://www.youtube.com/watch?v=TxeSdKRdJ0E

やがて「詩とメルヘン」は廃刊になりますが、新たに「詩とファンタジー」として甦ります。
大人になった芽子さんはそこに応募して入選します。
そして年間に選ばれる2名の中に見事に入り、イラスト優秀賞を受賞しました。
夢は持ち続けていると叶うのですねえ。
お父様の義一氏がとっても喜んでくれたということです、嬉しいですね。

「詩とメルヘン」はとても素敵な雑誌で、ももっちおばちゃんの溝江玲子もファンでした。
やなせたかしさんは、
採算を度外視してもこういうことはやらなきゃならないという思いのもとに「詩とファンタジー」を出版することにしたのです。
今の時代、何をするにしても、お金になるならないが一番になっています。
昔は大金持ちが私財を出し、美術館や博物館を建てたりしたのをよく耳にしたものですが。
やなせさんは、名をなした人がやらなくてはならないことだと言っています。凄いことですね shine

イラストの表彰式も、やなせたかしさんは自前でやったということですよ。
イラストの表彰式に出席した芽子さん。
やなせさんは、杖をついて出てこられたのですが、舞台に上がったら杖を振り回して歌うのですって。
「しょうがねぇ、しょうがねぇ」とかって。
高知県出身なので名産の生姜にかけて、しょうがねぇ、という歌詞だということですが、
元気なおじいさまで、忌野清志郎みたいだったんですって lovely
「しょうがねぇ、好きなことして食えないのはしょうがねぇ、、、」
「才能があっても仕事になるって思ってはダメだぜ〜」とかなんとか、、、。
90歳になられていたということですのに、ロックンロールみたいだったということです。

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