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日本の広島に原爆が落とされて(1)

   ■ 日本の広島に原爆が落とされて(1)
もうすぐ8月6日がやってきます。広島に原爆が落とされた日です。
肥田舜太郎さんは軍医でした。爆心地からたった500メートルしか離れていない第一陸軍病院で、仲間と入院患者たちといっしょに、即死しているはずでした。
それが、広島から6キロ離れている戸坂村に住んでいる農家のおじいさんから、とつぜん孫の往診を頼まれたおかげで九死に一生を得ました。
6キロ離れてたところではどうだったのか。
救援に向かった広島はどうだったのか。
「ヒロシマの記憶 原発の刻印」肥田舜太郎/遊絲社(ゆうししゃ)の一部を順次紹介していきたいと思います。

  ★「ヒロシマの記憶 原発の刻印」より抜粋 ★
実は戦争末期のこの時期には、B29は、そんなふうに毎日のように、朝から広島の上空に侵入してきていました。三、四機でくる。あるいは一〇機くらいでくる。または二〇機、三〇機の編隊がくる。そのたんびに空襲警報が鳴るんです。なのに、一発も爆弾が落ちないんです。上空を通ってはよそに行くんです。
それを当時、誰もが不思議がっていたのです。「広島にはどういうわけか爆弾が落ちない」と。
数十機の編隊がきても、広島には爆弾を落とさない。理由は当時は皆目わからなかったけれども、編隊でも爆弾を落とさないのに、今日は見たところ一機だ(肥田先生の目に入ったのは)。まさか爆弾を落とすまいと、まったく心配もしませんでした。
目の端に飛行機を見ながら、子どもに注射をするために注射器の針を上に向けて、なかの空気を押し出そうとしたとき、強烈な光が、ぱっと目のなかで炸裂した。それとともに、ぶわっと熱風が顔や腕をなであげた。
目がくらんで、目の前が真っ白になってしまった。あっと声を出したかどうかは覚えていません。注射針がどうなったかも覚えていません。ものすごい閃光です。
光っただけではなく、熱かった。光った途端に顔や腕に熱を感じた。
私は、本能的に目を覆って伏せた。熱と光は瞬間のことでした。
しばらく伏せていたのですが、何も起こらない。爆撃を受けたわけではなかったのか?
「おかしい、どうも静かだ」
何が起きたのかと恐る恐る顔を上げ広島の空を見ると、突然、雲ひとつない夏の青空に、巨大な指輪を横たえたように、大きな丸い火の輪が浮かびました。
と、その火の輪の真ん中に突然、小さな白い雲の塊ができた。その白い雲は瞬く間に大きくなり、そして火の輪にくっついた。するとそれがそのまま真っ赤な火の玉になった。いわゆる「火球」になる。記録によると直径が約三〇〇メートルだったのだそうです。
私が見た感じでは、三〇〇メートルなんてものではなく、もっと巨大だった。目の前の空間に、ものすごい大きな、真っ赤な火の玉がいきなりできていた。太陽としか思えなかった。二つ目の太陽が目の前にできたとしか思えなかった。
恐ろしいのだけれど、目はくぎ付けになった。目を離すことが出来ない。ずっと見てたら、その火の玉の上の方から雲がどんどんどんどん昇るんです。同時に下は広島市を踏みしだく巨大な火柱となった。
私がその光景を見ていた戸坂村と広島の間には、丘があるのですが、その丘の向こう側に火柱が立っている。そういう光景でした。火柱は五色の光を放っていました。五色の光はチカチカ光ってきれいなのです。きれいと言っても、生まれてはじめて見る光景ですので激しい恐怖を感じました。あまりの恐怖に腰をついたまま五色の光を見ていました。
「キノコ雲」とのちの文献では書いてあるけども、あれは後になって写真を見て名前をつけたんです。少なくとも私には、当時は火柱に見えた。丘の連なりの向こうに巨大な火柱がそびえ立っている。
やがて、丘の向こうから黒い雲が、帯のようにずうっと地面を低くなめるように現れました。不気味な黒い雲が丘の稜線いっぱいに顔を出した。
大量の土砂と砂塵をいっぺんにまくり起こしたので、黄色くも見えるし、黒くも見えた。そういう雲。
それが波のようにくねりながら、広島との境にある山を越えて丘を乗り越えてこちら側に崩れ落ちはじめた。
広島の街の幅いっぱいの雲が、こちらに向かってまさしく波のようにうねりながら覆いかぶさって崩れ落ちる。そして、そのまんま渦を捲いて、私のほうに波の雲が走ってくる。林やら町やらぜんぶ巻き込みながら。それを、どうすることもできず呆然と私は見ていたんです。
その雲の波が、私のいるすぐそこまで迫ってきた。すぐ下にある木造二階建ての小学校の屋根の瓦が、風に巻き上げられた紙くずみたいに、がーっと舞い上がるのも見ていました。
その雲の波があっという間に村へ入ってきた。私がいた農家はちょっとした丘の上、高いところにあって、真正面から見えた。雲が津波のように押し寄せて、いきなり私の体をものすごい力で吹き上げた。
家のなかを、私はまさしく飛んでいました。飛んでいるあいだは私の覚えでは一秒くらいで、その一秒のあいだに天井がばかっと口を開けて、大きな農家の屋根が吹きぬかれて、青空が見えた。その瞬間に私は大きな仏壇にぶちあたって、その上に吹き飛んだ屋根が崩れ落ちてきて、子どもと二人、下敷きになりました。
Hon_hida
 club 遊絲社(ゆうししゃ)
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(中略)
子どもは無事だ、よかったと思い、広島の街の方をみた。火柱です。広島の街から巨大な火柱が雲になり空に向かって湧き昇っていく。そして傘のように開いていく。その広島の街全体ともいえる巨大な火柱の下には人間がいるのだ。私は総毛立ち震えました。
病院に帰らなければなりません。

村の中を通ったんですが、村の家は傾いたり、壁が崩れたり、障子が飛んだり、被害のない家は一軒もなかった。爆心地から山を隔てて六キロという場所でも、そういうありさまでした。
村人はみんな、何が起きたのか分からないものだから表に出てきてわーわー騒いでいるんです。人口千四百人くらいの小さな村です。だけど声をかけている余裕がないから、走り抜けて街道に出た。後で聞いたら、五、六軒の家がつぶれてしまい、家の下敷きになって死んだ人もいたらしいです。川の堤防の上を広島へ行く国道が通っている。その太田川沿いの道を自転車で走り下った。
いまでこそ自動車が通る大きな国道ですが、当時は荷車が二台、すれ違うだけの幅の砂利道でした。
広島に向かって下り道の砂利道を自転車で駆け降りる。スピードが出る。ひたすら病院に向かって自転車で走っていきました。そこまで道では誰にも会わずに、ちょうど道半ばというあたりまで来たとき、被爆者に出会ったのです。私が出会った最初の被爆者でした。
  (中略)
一〇〇メートルくらい先です。一体なにが出たかと見つめました、牛や馬より小さいんです。縦に長くて。そうです、人間くらいの大きさの、縦に棒のようなものが、ふらふらしている。だけどまったく人間には見えなかった。
黒いんです。上から下までが。ちょうど季節は夏ですから、外出する時はみんな白い衣服を着ているはずです。それが上から下まで真っ黒。目を凝らして近づくと、体からボロ切れのようなものをいくつもぶらさげている。手はだらりと力なく前につき出して、その手の先からもボロ切れのようなものをぶら下げている。ぼろを着ているのかと思った。
縦に長い棒には頭がついていて、だけど、顔らしきものが見当らないのです。とにかく真っ黒。異様に大きな頭。人間なら目のあるあたりの場所がふたつ、まるで饅頭みたいに腫れ上がっている。
鼻がない。顔の半分くらいが口。上下の唇がグロテスクに膨れ上がって、それで、耳のあたりまで口があるように見えたのです。焼け爛れた頭には、まったく毛がない。
なにがなんだかわからず、恐いと思った。自転車を止めて、呆然と見ていた。すると、その黒い“人間に似た何か”は、だんだん近づいてくる。
「ううっ、ううっ」
って弱々しく唸るんです。そして、こっちに向かって歩いてきた。
向こうはこちらが見えたらしくて、足が少し速くなって、私によろよろと抱きつこうとしてきた。助けてもらおうと思ったんでしょう。
その黒い何かは、私が置いた自転車につまずいて、目の前にばたっと倒れた。そのときはじめて、私にもそれが人間だということが分かった。
バッと駆け寄って、医者ですからまず脈をとろうとその人の手を取った。そうしたら、その手がずるずるの赤剥けなんです、肉なのです。背中を見たら、一面焼けていて、ガラス片がいくつも突き刺さっている。はじめボロを着ていると思っていたけれど、上半身裸だった。ぼろだと思ったのは、その人の生皮が剥がれて、ぶらさがっていたものだった。脱ごうたって、脱げるもんじゃなかった。
人間の体の表皮が焼かれて、爆風で剥がされたものだったんです。
こんなの、見たことがありません。
なんだか分からない。
でも、形は人間だし、人間には違いない。
ずいぶん後になってから分かったことですが、原爆の爆発の直下にいた人たちは焼き殺されました。その熱線は、地上では六千度に達したとも言われています。ただ、その熱線は、非常に短い時間に瞬間的に出たものでした。だから、直下にいた人々は一瞬にして焼け死んだんだけど、離れた場所で熱線を瞬間的に浴びた人たちは、表皮という部分が焼かれて、ペロッと剥けてしまった。
瞬間的だから火傷しても表皮の下の組織は焼けていないのです。それがあのときの火傷の特徴でした。一秒の何分の一という一瞬に、途方もない熱線を浴びたのです。
皮膚が剥がれて脈もとれないという状態の人に対して、医者として何もできないままに、その人は痙攣を起こして動かなくなってしまいました。
それが、私の会った最初の被爆者であり、死者でした。
医者の私ですら見たこともないような、こういう酷い怪我をした人が出てくるようじゃ、あの火柱の下は、想像を絶することになっているだろうと私は思った。
広島市に戻っても、そこに病院が残っているのだかないんだか、分からないとも思った。

亡くなった方を拝んで、その体の下から自転車を引っ張り出して、自分を叱咤して病院に向かおうと自転車にまたがった。
ふと前を見たら、道の向こうから同じように生皮のぼろをぶら下げた人がいっぱい来るんです。
よろよろと歩いている者もいる。歩くこともできずに、ほとんど這っている者もいる。互いにもたれ支えあって立っている者もいる。皮膚が赤剥けになって、ずるずるになって垂れている。赤剥けの体に埃やら泥をかぶって、真っ黒になっている。
そういう人たちが、道いっぱいに広がって、こちらに向かってくる。爆心地から逃れてくるわけだから、どんどんやってくる。

それで自転車を捨てました。道ではなく、川のなかを行くことにしたのです。
七、八メートルの崖の下に、太田川が流れている。ちょうど腰くらいの深さの川で、私は目をつぶって飛び込んだ。
川を歩いていけば、かならず広島に入る。陸軍病院の手前まで川のなかを歩いて、そこから土手を登っていけばいいと考えた。
   (続く)

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